早春の佐渡島に妖精を訪ねて

(2004年3月19日〜21日)

突然、目の前に現われた雪割草の群落。我を忘れてシャッターを押し続けました。  

出会うことができた...

ジェットフォイルが両津港へ滑り込む。ぐんぐんと大きくなる島影に胸躍らせ、いつしか船酔いすることを忘れた1時間が過ぎて、タラップを渡り上陸を果たした。少し進んで行けば、従弟の姿を目にした。
「やあ」
気取らない挨拶もそこそこに、車に乗り込んだ。ひんやりしているのは、寒の戻りがあったから。加茂湖を横目に、やがて穀倉地帯の国仲平野を行けば、左側は小佐渡の丘陵、右側には1172mの金北山を目立たせた大佐渡の山脈がそびえていた。ふと見ると、「雪割草展」の看板があちこちに見られる。
「雪割草って、100万円もする株があるんだってね」
「今はバイオテクノロジーで、八重の花が簡単に出来るんだ。安くなっているよ」
「しかし、天然の八重はまったく違うね」
車はやがて小佐渡の丘陵地帯へと分け入って、小さな集落に着いた。ほんの少し高度を上げた程度なのに、辺りには自然と共存するような土地が広がっていた。そして、降ったばかりの雪が残っていた。
「まだ、雪割草には早いかな」
従弟がつぶやいた。ちょっと残念な気分だ。でも、雪割草だけを見るなら角田山にでも行けばいい。海を渡ってまで来てみたい、誘われているような感覚があったのだ。窓の外には国仲平野と大佐渡の連なりが見える。

荷物を置いて、外を散策する。ひんやりとしている。寒いほどだ。雪が降るくらいだから、東京の真冬を想像すればよい。最近は暖冬続きで、雪が少なくなっているのはどこも同じだとか。春も早めにやってくるけど、寒の戻りで農作物がやられるという。雪が早く融けて小動物に荒らされたり、霜や雪で全滅するという。昔は分厚い積雪に守られていたそうだ。
「アラゲヒョウタンボクだ」
周囲の木が葉を落としている中に、黄色く目立った花をつけている低木を見つけた。
「この花は、嫁泣かせ、と言うんだ」
春が来てこの花が咲くころ、お嫁さんの作業が忙しくなってくるから、そういう名前が付くという。佐渡にはいろんな嫁泣かせの花があるという。キクザキイチゲ(地元ではイチリンソウと呼ぶ)のことを嫁泣かせと呼ぶ場所もあるそうだ。アセビは、関東の山では冬枯れの中に青葉を目立たせているが、こちらにも沢山みられた。しかし、そのつぼみはまだまだ小さく、固かった。

見晴らしのよい場所

何もかもが新鮮で、漠然とながら写真を撮りまくった。滞在する場所に戻って落ち着く。夕刻になったので、下界に食事をしに行く。佐渡は海の幸の宝庫で、幸せな気分。日が暮れて戻ってくれば、しんしんと冷えた。興奮でなかなか寝付けないかと思ったけど、日頃の疲れも残っていたのか、あっという間に眠りに誘い込まれてしまったようだ。

§§§§§

朝、食事を終えて出発する。標高300mあたりからは残雪に覆われている。車を降りて、小佐渡の丘陵地に分け入る。丘陵地といっても、私が生まれ育った横浜の、宅地の間に緑が点在する風景とは違う。
「このあたりまで昔は田んぼがあったけど、今は休耕田でね・・・」
実はさきほどから気になっていた。荒れ果てた田んぼ、枝打ちされていない杉の植林。
「それだけじゃないさ。今歩いている道も、小低木が生えてきて、夏はまったくうるさい藪に変わるんだ。歩けるのは今だけさ」
考えてみればそうだ。ここ何年か車が通らずに放置された道を、今、歩いている。
「言い換えれば、昔の人は、こういう土地の中で何としても生きていこう、と知恵を絞っていたんだね。感心するよ」
植林のラインはこのあたりまでで、標高350mといったところか。あたりは自然林となる。奥日光でみた樹肌がブナで枝ぶりの違う木がここにも見られる。やはりホオノキだそうだ。
「ブナは大佐渡にはあるけど、小佐渡にはないよ」
やはり標高の低いマイルドな環境では、ブナは生存競争に勝てないらしい。山雑誌に載っていたブナ林の写真は確かに大佐渡で撮ったものだった。

車道跡を離れて斜面に取り付く。雪に覆われているからどこでも歩ける。やがて沢に出て、少しばかり遡上する。こんな場所が裏山にあるのが羨ましい(洒落ではない)。長靴を履いた従弟はスイスイと行く。こっちは軽登山靴にスパッツだ。何度も渡り返し、そしてときどき、流れの浅いところを行く。少し大きなナメが見える。
「ここは夏には天然の滑り台になって、子供たちが遊んでいるよ」
都会の子供たちには、させたくてもさせられない世界だ。少しばかりのスリルを積みながら徐々に経験値をアップして行く・・・どこまでが大丈夫でどこからが危険・・・そんな感性は、TVゲームの中では養えない。肉体が伴っているからこそ得られる充実感を、体験させ、次の世代に引き継ぐことが重要なのだろう。そんな思いを、瞬間的に頭の中でめぐらせながら歩いた。
先が見えてきて、これ以上遡るのは難しいので引き返す。車道跡まで戻って、車道跡のうるさい藪を行くと、大きな沢に出くわす。橋が落ちているので、迂回して渡る場所を見つけて飛び石伝いに渡る。ふたたび小さな沢が現れたところで、従弟とは別行動。小さな沢を遡る。タヌキが現われて、すぐ近くまで来たところで、こちらに気付いて一目散に逃げていく。少し登ったところにある堤の上でしばし休む。目の前には人工の池が現われて、木々を映していた。
再び引き返す。車道跡の続きを言われたとおりに歩けば、やがて斜面伝いに道が続く。その斜面には無数のフキノトウが顔を出している。そして、目の前に国仲平野と大佐渡山脈のパノラマが広がった!白き金北山は、盟主の貫禄十分な姿だった。国仲平野は、佐渡の穀倉地帯であることを存分に発していた。

残雪の沢を遡る 堤で休息 木々を映す 金北山と国仲平野

午後になると、陽射しが戻ってきた。歩くフィールドはどこにでもある。山村の道を下っていくと、福寿草は点々と咲いている。沢筋に出れば、まだまだ斜面は褐色を呈している。
「このあたりで・・・」
と、道を外れて斜面を下っていく。道なき道を、踏ん張りながら下っていく。
「あ、これ、つぼみ」
そこにあるのは、紛れもない雪割草の葉だった。丸みを帯び、艶を持った三角形の葉。ポツポツと芽を出し始めているけど、あるのは蕾ばかりだ。
「まだ早かったかな・・・」
更に下っていく。思わず見逃してしまいたくなるような場所に、1輪の花を見つける。
「あった、あったよ!」
「本当だ!やったぁ。・・・あ〜、本当によかったぁ!!」
従弟の顔に、なんとも無邪気な、そして安堵の表情が浮かんだ。たった1輪、しかも撮影するには冴えない場所だ。正月に東京で会ったときに、
「雪割草が見られるから遊びにおいでよ」
と言っていた、その責任を果たした安堵感がそうさせていた。そうか、そこまで背負わせてしまっていたのね。悪かったなぁ・・・
さて、我々は沢まで下ってきた。来た道を引き返すよりは、先を行くことを選択する。水量が豊富な沢を、場所を見つけて飛び石伝いに渡った。下流へと向かえばやがて開けた場所に出る。
「あ、この花・・・」
名前が出てこない。
「アラゲヒョウタンボク」
大して派手な花ではないけど、周囲が枯れ枝ばかりなので、この時期よく目立つ。花の形は、なんとなくタニウツギを連想させる(帰ってから調べたら、タニウツギと近縁種であることが判明した)。谷間に開かれた田んぼの畦道を歩いた。こんなところに田んぼを切り開く執念には恐れ入る。少し下流へと歩けば車道が始まって、飛び石伝いに渡った沢も橋で越える。そのまま反対側の斜面を道に従って歩けば、舗装道路に出た。そこの斜面を良く見ると、やはりポツポツではあるものの雪割草が咲き始めていた。残念ながらそこは日陰になっていて、撮影は試みたけど、出来上がりはあまり良くなかった。テクテクと歩いて、戻ってきた。

従弟が買い出しに行くので、ついでに温泉に行こうと誘ってくれる。少し大回りして小佐渡の風景を楽しみながら行く。傾きかけた陽射しに浮かぶ小佐渡の山なみが、なかなか美しい。生活するのは大変そうだとわかっているけど、こんな素晴らしい風景に囲まれて日々を過ごせることが羨ましい。季節の移り変わりを、いやがうえにも実感させられる日々。何気ない挨拶や日常会話の中に、様々な花が登場してくることは想像に難くない。都会人の会話で登場するのは、春であれば梅、桜、ツツジ程度のものだろう。とはいえ、憧れを持つだけのことに対して、田舎暮らしをすることははるかに高いポテンシャルを持つ必要がある。都会に生まれ育った従弟がいつの間にそんなポテンシャルを身につけたのか、想像すらできない。

清らかな流れを渡る 谷間の営み アラゲヒョウタンボク 小佐渡の山なみ

国仲に下って温泉に入る。目の前に続く大佐渡の山なみが美しい。買い出しの成果だが、残念ながらこの日は休漁日だった。肩を落としながら帰っていく。それでも、従弟が歩きながらせっせと摘んだ山の幸を口にすることができた。お酒は銘酒の誉れ高い「真稜」、まさに”幸せ”だった。大地の恵みに感謝しないとね。
ほろ酔い気分で表に出る。この日もかなり冷えている。これほどの暗闇は久しぶりだ。そして、満天の星空。「冬の大三角」は西に傾きかけ、真上には春を象徴する北斗七星がきれいに柄杓を描いている。柄杓の柄を伸ばせばうしかい座のアークトゥルスが明るい。その先にあるはずのおとめ座スピカは、まだ稜線の影に隠れていた。

§§§§§

朝、降り注ぐ陽射しを見ながら、思いつく。前日に歩いた舗装道路の斜面が気になっていた。雪割草に光が当っているような気がした。食事を済ませて足を運ぶ。果たして、目的の斜面には光が当っていた。点々と咲く雪割草が輝いていた。しかし、数は少ない。思い切って斜面に取り付き、強引に登っていくと、チラホラと咲く雪割草よりも一面に咲き誇るオウレンの群落に出くわした。亜高山帯に咲くバイカオウレンやミツバオウレンの低山種なのだろう。やや大ぶりながら繊細でキラリと光っていた。
余りゆっくりと過ごすわけにはいかないので、斜面を下りて戻ることにする。道端には至るところで福寿草が咲いている。東京近郊では、福寿草の群生地というだけで人が集まるけど、ここではごく当たり前のように咲いている。家の庭先にもいっぱいあった。近寄って、まじまじと見つめる。鮮やかな黄色、まさに”幸福を呼ぶ”色だ。

朝の陽射しを浴びる雪割草 オウレン 福寿草は至るところに

戻って荷物をまとめる。時間の経つのが早い。ずっとずっと...このまま留まっていたい。そう、雪割草が一面に咲き乱れる季節まで。確かに雪割草を見ることはできた。しかし、ここに来て欲深い。まだ、満足な写真が撮れていないし。いや、何よりも、この大自然に囲まれた土地が気に入ってしまったのかもしれない...そんなことを考えながら、山腹にある集落を後にする。
従弟が運転する車は、国仲に差し掛かる。一足早い春の訪れがあった。数多くの花々に彩られていた。金北山は今日もその姿を見せている。冬は鉛色の空に隠されているその姿を、春の明るい陽射しの中で惜しげもなく見せている。

古い寺院を巡る。数々の歴史を刻んだ独特の島、その時代の流れを思う。そして、わずかながらも、その島に生まれ育った人の血がこの体内を巡っていることに今更のように驚かされる。歴史ではなく、自分の一部であることを、この島を踏んだことによって思い知らされる時を過ごした。
「呼ばれていたんだよ、きっと」
しみじみと従弟がつぶやく。観光気分のつもりで足を運ぼうとしたに過ぎなかったのに...

思いを巡らせながら、何気なく小高い斜面に足を運んだ。誰も来ないような場所で目にしたのは、信じられない光景であった!

目の前に、咲き誇る雪割草の姿が目に入ったのだ!見れば、そこかしこに咲き乱れていた。白、濃いピンク、淡いピンク、薄紫、濃い紫色・・・花びらの数も様々で、飽きることがない。夢中でシャッターを切り続けた。他のものはいっさい目に入らない。傍らにいる、待ちくたびれた従弟の存在すら、心の外に置かれてしまっていた。

妙宣時の五重塔

長谷寺は平安時代に開かれた古刹で、5月の牡丹が有名

暫しの興奮の時間が過ぎ去った。冷静になったとき、別れの時が迫っていることを悟る。両津港へと向かう。窓の左側には金北山が見え続けていた。まだ白い雪を被っているその姿も、やがては花と緑に覆われる季節を迎えるのだろう。4月に入ると佐渡は本格的な春を迎えて、あちこちの集落で鬼太鼓の囃子が聞こえてくるという。それを目当てに観光客も押し寄せる。今度はその時期に訪れたいな・・・でも、忙しいだろうな。と現実に帰る自分がいた。来年以降・・・だろう。しばし余韻を楽しみ、期待を持ち続けながら、季節を見送るのがいいだろう。

加茂湖の畔にある土産物店に立ち寄り、佐渡の蕎麦を口にする。蕎麦も美味だが、汁も美味である。トビウオの出汁だと従弟が言う。クセになる味だった。同じフロアで「雪割草展」が開かれている。鮮やか過ぎる花の色、人工的な八重の花びら。確かに綺麗だけど、まるで造花のようだ。花は野に咲いているからこそ美しい。陽射しを浴びて風に揺れているのがいい。金儲けの手段を見るだけでは、心奪われるものがないではないか...
なんとも気だるい感覚に覆われた中で車に乗り込む。やがて両津港へと着いた。
「また来るから」
次、ここを踏むのはいつになるのだろう。そして、どの季節になるのだろう。花と新緑の本格的な春、海が色鮮やかな夏、紅葉も素晴らしいという秋、そして鉛色に閉ざされる冬・・・ま、いつでもいいか。行きたくなったら行けばいい。

船に乗り込む。帰りはカーフェリー。やはりジェットフォイルでは高すぎる。デッキに出て、潮風に吹かれながら、金北山が遠ざかるのを眺めていた。船室の喧騒はもはや都会の世界。視界に入るのは、海と、傾いた太陽と、島影だけでよかった。

カーフェリーのデッキから遠ざかる金北山をじっと見つめていました。また来るよ。 いつか再び来る日まで...

 

参考データ:佐渡汽船のサイトはこちらです。路線バスや観光情報はこちらです。

 

2004年に戻る

地域別検索に戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送