涸沢,徳本峠
誰もが憧れる「紅葉の涸沢」、そして歴史を刻むルートの踏破を目的として訪れることになりました。



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紅葉に染まる涸沢カール(10/6・涸沢ヒュッテ裏のパノラマ新道にて)

@期間 10/5〜8(山中3泊4日)
A同行者 なし
Bアプローチ 行き:夜行バスで上高地へ

帰り:島々より松本電鉄・新島々駅までバス

Cルート 第1日:(前夜東京発)上高地−横尾−涸沢ヒュッテ(泊)

第2日:涸沢ヒュッテ−屏風ノ頭−涸沢散策−涸沢ヒュッテ(泊)

第3日:涸沢ヒュッテ−横尾−明神−徳本峠(徳本小屋泊)

第4日:徳本峠−岩魚留−二俣−島々

D天候 第1日:雨のち曇

第2日:晴

第3日:晴のち曇

第4日:曇ときどき晴

E所要時間 第1日:歩行時間5時間、休憩時間2時間

第2日:歩行時間3時間(涸沢−屏風ノ頭往復)

第3日:歩行時間4時間半、休憩時間1時間15分

第4日:歩行時間4時間15分、休憩時間30分

Fポイント ・前夜(木曜夜)、深夜バスで東京を出発しました。一度はあきらめかけた涸沢でしたが、どうしても行きたくて、その日の夕方にキャンセルが出たところに滑り込んだのでした。

・この夜のバスは3台。金曜夜は22台が上高地を目指す、と隣の席の人が言っています(@@)。待てよ、帰りの上高地からのバス、本当に乗り切れるのかな?不安が頭をもたげてきたとき、ふとある考えが浮かんだのでした。

・それこそ、前々から暖めていた計画、”徳本峠越え”でした。島々まで下ればなんとかなるだろう・・・図らずも2つのテーマが実行に移されることになりました。

・早朝の上高地に着けば、冷たい雨がシトシト降り続いていました。観光客の姿はありません。横尾へ向けて歩き始めました。河童橋から見上げる穂高連峰も雲を被っていました。

・徳沢、横尾と経て、本谷沿いの道に入ると、4年ぶりに目にする屏風岩の姿が。上の方が紅葉している様子が見て取れました。雨は上がったものの天候は相変わらずでした。

・午後2時過ぎに涸沢に着きました。ここも4年ぶりのことです。前回は涸沢小屋でしたが、今回は涸沢ヒュッテに泊まることにして、受付を済ませました。

・穂高連峰の上部は相変わらず雲の中です。光は差し込んでいませんでしたが、カールの紅葉が見事です。期待は翌日以降に残して、おでんを食べながらのんびりと過ごしました。

・翌朝、動きが慌ただしい。この行動パターンに慣れていない僕は、ただ周りの動きに合わせて、カメラと三脚を持ち出して外へ出ました。テラスにはロケットのような三脚が立ち並び、入り込む余地がありません。テラスの横、ナナカマドの木の傍に場所を確保しました。

・やがて雲の色が変わり、太陽の光が岩峰の上部を照らし始めます。それは淡い紅色でした。その光が徐々に、徐々に下りてくるとともに、色合いを増してきました。これが有名な涸沢のモルゲンロートでした。

・やがて光は黄色く、力強いものに変わりました。北穂が黄金色に輝いています。ふと白出のコルを見上げると、月が沈んで行くところでした。

・光は徐々に下りてきましたが、まだカールの底には届いていません。パノラマ売店の人に聞いたら、ヒュッテに光が届くのが9時頃とのことでした。

・パノラマ新道を屏風のコルに向けて歩き始めます。日陰のトラバース道は滑りやすく、歩きづらい。やがて、横尾本谷に槍が姿を現しました。光る尾根が徐々に近づいて、屏風のコルに着きました。遠く南アルプスや富士山が見えました。

・急登を経て屏風ノ耳に立ちました。目の前には穂高連峰と涸沢、右に目を転ずれば槍、足元にはU字型の横尾谷。絶好の秋晴れ、応えられない開放感です。

・ピークに立つ人たちの目は、皆輝いていました。
「あそこは、何ていうところ?」若い女性が関西弁で問います。
「屏風ノ頭だよ」おじさんが答えます。
「じゃあ、ここは?」答えを待たずに「屏風ノ肩?」
「屏風ノ耳」
「あはははっ、恥ずかし〜!」
「あそこまで行かなきゃ。僕はここで休むけど」
「そう?じゃあ、行ってこよーっ、と」
そして、何人かが屏風ノ頭へ向けて歩き出しました。僕もザックを置いたままつられたように歩き出していました。

・鞍部に下りてから登り返します。足元にはコケモモの実。口に含むと、ちょっと酸っぱい。そして着いた屏風ノ頭からは、常念、大天井、西岳まで見渡せて、欲しいものがすべて手に入ったような感覚でした。平和だな、とつくづく感じました。

・カールに差し込む光線が徐々に変化してきて、昼近いことを告げていました。屏風ノ頭を後にして、来た道を戻りました。涸沢には人が押し寄せていました。

・昼食をとってからはカール内を散策。涸沢岳方面は陽が陰りはじめ、前穂の北尾根が照らされてきました。涸沢小屋側に回りこみました。

・2時半頃になるとカールの大部分は日陰となってきました。思えば、おでんを食べながらビールを飲んでいた30分が勿体無かったな(^^;;

・2日目の晩、ヒュッテは最高潮の大混雑です。僕のいた区画は、最初布団4枚に16人。たまらずに3人が床に寝ると言って逃げ出しました。苦痛の夜でしたね(^^;;

・涸沢を去る日の朝が来ました。朝食をとってから、この日はカール底の池の傍にカメラを構えることにしました。池には氷が張っていました。

・前日よりも見上げる角度で日の出を待ちました。この朝はモルゲンロートも大したことなく終わりました。光が下りてくるまでの間、荷物をまとめます。再び池のほとりに戻ると、カールの斜面に前穂・北尾根の影が映っていました。

・光はなかなかカール全体に届きません。あと少し、あと10分だけ・・・
涸沢小屋に向かって左斜め下、モレーンの末端にひときわ鮮やかな紅葉が見えました。岩から岩へと飛び移ってそこまで行き、最後の風景をカメラに収めました。

・下りに差し掛かると、日陰の道。屏風ノコルから差し込む一条の光が行く手を照らしていました。日陰の道端には霜を被ったチングルマの葉が、土に還る前の最後の輝きを見せていました。

・屏風岩を回り込むように下り続けます。目の前には、横尾本谷が黄金色に輝いていました。登山者が次から次へと登ってきます。立ち止まっている時間、それは涸沢へのサヨナラの挨拶のためにありました。果たしてこれからも来るのだろうか?それとも久しく訪れないことになるのだろうか?神のみが知る答えを探しながら、行き着いた事実。2001年秋、初めて訪れた涸沢を死ぬまで忘れることはないだろう・・・

・樹林帯の中を下るようになると、沢音が大きくなってきました。やがて本谷橋。一休みしてから再び歩き始めると、針葉樹林帯。暑くなってきたのでこれは好都合でした。所々で樹林が途切れれば、U字谷が広がります。涸沢の姿はもう見えないのに、何度も何度も振り返ってしまいました。

・横尾で小休止し、すぐに出発。梓川沿いを行きます。広い河原・・・やはりこの谷もかつて氷河が埋め尽くしていたのだろうか・・・徳沢付近まで来ると、明神岳の岩壁が美しい姿で聳えていました。立ち止まり、仰ぎ見て、ゆっくりとシャッターを切りました。

・徳沢で昼食をとり、更に広くなった梓川に沿って歩きます。来たときとは対照的な晴天です。明神の手前の橋まで来ました。第一ステージは終わりました。

・木陰のベンチに初老の男性が佇んでいます。聞けば、北穂から下りてきて、徳本峠に向かうという。ご一緒することにしました。

・針葉樹林帯に光が差し込む平坦な道が続きます。これまでの”喧騒”が嘘のような静けさです。ゆっくりゆっくりと歩いて行けば、やがて上り坂に差し掛かりました。木の間越しに見上げる稜線は遥か上。ちょっと弱気になってしまいます。

・沢に沿って登って行きます。斜面は太陽の逆光線に紅葉が輝いていましたが、やがて雲が湧いてガスが下りてきました。

・霧はいよいよ深くなりました。高度は確実に上がり、標高2135mの徳本峠に着きました。なんとも言えない素朴な山小屋がそこに建っています。その姿に、暖かさを感じたのでした。

・入り口を開けると小屋番が迎えてくれました。「おお、君かぁ・・・」なんとも不思議な感じでしたが、暖かさが本物であることを実感しました。

・外は暗くなってきました。ランプの灯りが周りをほんのりと照らします。ガスが濃密になったようで、木々の枝についた雫が雨のように落ちるのが聞き取れました。

・夕食は随分と待たされました。2巡目を待つ客の間からは、不満の声が聞こえ始めました。数人が昔の山の歌を口ずさみ始めました。だんだんと大きな合唱になりました。ようやく食事の準備ができました。心をこめて作られた夕食を見て、不満の声はピタリと止みました。

・定員20人の小屋にこの日は50人が泊まりました。夜半にふと目が覚めると、月明かりが差し込んでいました。

・翌朝、静寂に包まれた峠の展望台に立ちます。目の前には穂高連峰の引き締まった形が浮かんでいました。やがて日の出を迎え、その姿が淡い紅色にそまりました。見たかった景色でした。サンキュウ!

・食事を取ってから出発です。昨夜のおじさんは、霞沢岳へ向けて発って行きました。小屋番さんが暖かく見送る声を背に、眼下の島々谷へ向かってその第一歩を踏み出しました。紅葉が始まった斜面、涼しさに包まれた秋の朝、一人で全身に受け止めながら下り続けました。

・30分と経たないうちに沢が始まりました。小さな沢を集めて、流れが徐々に太くなっていきます。ここは北アルプス、しかし、奥多摩のような雰囲気でした。

・時折光が差し込むと、木々の葉が輝きます。流れはすぐ横にあります。時折風がやさしく吹きます。この感覚!すべてが五臓六腑に染みわたり、再生へと導いてくれる!来てよかった・・・余分な行程だと、省略しようと、何度も思ったけど。

・岩魚小屋の手前で、猿の群れに出くわしました。ボスとおぼしき一匹がじっとこちらを睨んでいました。

・岩魚小屋を過ぎると、沢は勢いを増し、谷はいよいよ深くなってきます。あのウェストンもこの道を歩いた。それどころか、戦国時代から使われていた信濃と飛騨を結ぶ街道だった。昔、この暗い谷を歩いた人たちの心中は・・・。しかし、今、清々しいハイキングコースとなって親しまれている。所々荒れているものの、歩きやすい道が続いていました。

・標高が1000mを切りました。少し暑くなってきました。今や木々の葉は青々としています。丈夫な吊橋を渡ればすぐに二俣に着きました。

・二俣から島々までは6kmの林道歩きです。確かに疲れましたが、奥多摩で歩きなれているので大丈夫です。人家が現れてきて、国道158号に出れば、バス停はすぐそこにありました。

・時計に目をやると、12:27を指しています。バスの時刻表は・・・12:17に通過!あちゃ〜・・・新島々まで歩くのか。と、そのときバスがやってきました。満足のうちに4日間の山旅が終わりを告げた瞬間でした。

G総括 ・言葉では言い表せないほどに充実した山行でした。
「涸沢の紅葉見たら、人生変わるよ」
誰かが言ってたことが、決して誇張ではないことがわかりました。

・涸沢ヒュッテは混雑していたけど、それでもこれだけの紅葉が見られたことに大満足です。思えば、今年こそは行きたいという気持ちが強くて、一度は諸事情により無理だと思ったけど、諦めなかったことがよかったです。

・徳本峠、島々谷も行ってよかった。涸沢ほどの派手さはないけど、この時期に行ったことがよかったと思いました。

H気付事項 ・紅葉の時期、カール内に光が行き渡っている時間は短いです。個人的には白出のコルから涸沢岳方面より光が差し込む昼過ぎがいいのでは、と思います。涸沢槍をバックに、透過光のナナカマドを撮ることができます。
(涸沢の写真は幾らでも自分の構図を作ることができるメリットがあります。何年か通い続ければ、オリジナルの構図ができるのではと思っています)

・涸沢から徳沢へ抜ける「パノラマ新道」は、前半はトラバースが続きます。日陰のコースはじめじめしていて、凍結していることも考えられます。スリップにはくれぐれも注意して下さい。

・島々谷の岩魚小屋の2km程度(?)上流側、斜面のトラバース道が1ヶ所、5mほどの区間にわたって崩落していて、トラロープがかかっています。手前で河原に下りて歩き続けたのですが、斜面への取り付きが見つからず、道は高巻くばかり。崩落箇所も踏み跡があるので、行けないことはありません。

・島々谷に掛かる桟橋は所々古く朽ちかけています。慎重に通過することが大事です。

 

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河童橋より雲を被った穂高連峰

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涸沢のモルゲンロート

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屏風ノコル付近より富士山を望む

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槍ヶ岳をバックに(屏風ノ耳にて)

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染まる涸沢と穂高連峰(屏風ノ耳にて)

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ナナカマドと前穂北尾根

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横尾谷を振り返る

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徳沢へ向かう途中で見上げた明神岳

 

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徳本峠へと向かう針葉樹の道

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徳本峠への登り

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朝日に淡く染まる穂高連峰(徳本峠より)

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徳本小屋の情景

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徳本峠よりジャンクションピーク

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島々谷に向けて下り始める

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沢沿いの道で朝日に輝く木

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岩魚留めの近くで出会った猿

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二俣付近の吊橋より見下ろす流れ

別館・「涸沢に乾杯!」へ


 

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