1991年7月・両神山山行

学生時代,授業には適当に出て,バイトや飲みに明け暮れた日々を過ごした。友人N君は,気が合う存在だったが,ワンゲルをやっていた。僕は彼のことを,
「Nから山をとったら何も残らない」
などとからかっていた。重い荷物を背負って汗臭いだけの山登りのどこが楽しいのか,という気持ちがあったのだ。酒飲みが集まる,語り癖のある奴が多い,というイメージも敬遠材料だったかな。

そんなある日,N君から誘いがかかった。同じ科の5,6人で両神山に登ろうという話であった。勿論,両神山がどこにあるかも知らない。でも,そのときなぜだか,行ってもいいかな,という気持ちがおきてきて気付いたらOKを返事していたのであった。

梅雨明け間近の不安定な天気だったと思う。2台の車に分乗した我々は長瀞を抜けて,山懐に分け入った。両神村の川沿いの道はいつしか峡谷を縫うようになった。夕方になってキャンプ場に着いた。河原で火を焚いて,バーベキューをやった。ほろ酔い気分の中,揺れる炎を見つめるのは,なんとも言えずいい気分。僕ともう一人が一番最後まで残って,火を眺めていた。
やがてテントに入りこんだ。夜半に雨が降ってきた。すぐ外をチョロチョロと水が流れているのがわかった。

翌朝,雨は上がっていた。朝食をとってから車を走らせる。雲間から真夏の強烈な陽射し。車は徐々に高度を上げて,登山口に着いた。白井差口というところであった。

僕以外はワンゲルをやっているか,何らかの山登り経験のある人ばかりだった。僕は単なる運動靴を履いているだけ。2番手につけてスタートした。沢音が寄り添ってきて,心地よい。すぐに滝が現れた。「昇竜の滝」のことである。喩えようのない瑞々しさに浸った。更に登って行くと,岩にビッシリついた苔から水が染み出していた。口に含めば,身体が活力を取り戻してくるのがわかった。木々の緑の間から降り注ぐ光もまたいい。
周りが気を遣ってくれたのか,それほど無理のないペースで登れた。記憶の中では始めて経験する鎖場も無難に切り抜ければ,待望の頂上であった。青空に湧く雲と,降り注ぐ強烈な夏の陽射しが印象的。誰かが持ってきたキュウリの美味しかったこと!

来た道を下った。急坂の下りは足に応えた。踏ん張ることができない。それでも,最後に再び滝を眺め,沢音に包まれて満足のうちに下山した。

汗にまみれた服を着替える。着替え終わって荷物を整理して,さて帰ろうかというときだった。
車を出してくれた友人が突然,深刻な顔になった。無理もない。キーを閉じ込めてしまったのだ。「こんな山奥で・・・」と途方に暮れる。困り果てた我々は,登山口にある白井差小屋に救いを求めた。
「あるんだよね。こういうことがよくね。」
余り驚きもしない様子で,管理人の山中豊彦さんが言った。心配するな,と言わんばかりの表情で,我々も少し落ち着きを取り戻した。
「もうちょっと待ちな。1時間くらいかかるから。」
と待っている。ふと日誌を手に取る。管理人と登山者の心の通い合う様子がわかる。そして,遭難ともなれば必死で救助に向かう苦労が読み取れる。大変なんだね,などと言い合っていると,
「ホレ,これでも食ってゆっくりしてけや」
差し出されたのは,ふかふかに茹で上がったじゃがいも。目を見合わす我々。山中さんの気遣いが最高の調味料となって美味しかった。
やがて,頼まれ人とおぼしきおじさんがやってきた。道具を使って,カチャカチャとやること5分。扉は開いた。うわぁ,と一斉に歓声が上がった。
「よかったなぁ!」
「みんな,申し訳なかった」
「気にするなよ。魔が差しただけさ」
「みんな,本当に優しいなあ」

おじさんと山中さんに何度もお礼を言って,白井差口を後にした。自然の瑞々しさとともに,心の瑞々しさを分けてもらったような気がした夏の一日だった。山っていいもんだな。また機会があったら誘ってもらおうかな,と思った。

この両神山山行が,自分が山登りを始める上で,忘れ難い経験となった。その後,数年間の空白があったのは,取っ掛かりがつかめなかったから。やがて,ある友人に雲取山への誘いをもらった私は,二つ返事でOKした。

 

戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送