矢倉岳(870m)、2016年12月31日(土)、天候:快晴

コース:矢倉沢登山口−矢倉岳山頂−清水越−足柄峠・聖天堂−(足柄古道)−地蔵堂

矢倉岳の山頂は陽射しにあふれていた・・・
(左端は愛鷹山塊)

帰省中に箱根と御殿場、三国山稜の間にある足柄山塊で富士山の展望台である矢倉岳に登った。快晴の空の下、山頂からは見事な富士山が惜しげもなく姿を見せていた。

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年末に帰省すると、2年ぶりにMackeyの父(以下、Mackeyパパ)と登る機会が巡ってきた。前日、学生時代の仲間と遅くまで飲んで、睡眠不足&やや二日酔い気味。小田急線で新宿から新松田までで睡眠時間を挽回するが、海老名で目が覚めて快晴の空の下に横たわる丹沢山塊に目を奪われた。新松田からバスまで時間があったのでタクシーで登山口へ。タクシーの運転手とは山談義に花が咲いた。

矢倉沢の登山口から登り始めると、いきなりの急登は運動不足と二日酔いの身体にズシリと来る。70代後半のMackeyパパは健脚で一定のペースで登っていく。植林帯が続きアルコールが抜けるまでは我慢の登りが続く。やがて自然林に変わるとここで一休み。陽射しが降り注いで暖かい。明るい陽射しあふれる南関東の冬は、他の地方に移り住んでこそ実感できる。ここからは自然林の登りが続くが、急登は相変わらず。Mackeyパパに置いて行かれる。それでも斜度が緩くなればやがて山頂に着いた。

雲ひとつない青空に富士山が大きく聳えている。大晦日、風も止んでポカポカ陽気だ。南には箱根の山々が横たわっている。左から明神ヶ岳、中央奥に大涌谷から噴煙を上げる神山、そして右には金時山だ。この角度から見る箱根の山は初めてだった。東側に目を転じれば湘南海岸と相模湾、こちらも雲ひとつない空。こんなに展望のよい山頂もそうそうない。Mackeyパパも大喜びだ。それでもやはり展望の主役は富士山。関東に住んでいても、これほどの富士山は初めてだという。Mackeyパパの喜ぶ姿を見ると、リサーチしてよかったと思った。

長い昼休みの後、下山にかかれば、眼前にひときわ大きな富士山が浮かび上がる。眼下の御殿場市街を従えるように雄大な姿を見せる。そこから急坂を下って清水越。そして長く続く植林帯のトラバースを抜けて、足柄万葉公園へ。ここからは車道を横に見ながら標高759mの足柄峠に着く。古の相模と駿河を結ぶ峠道は、奈良時代には開かれており江戸時代の東海道が箱根関所を通るルートになるまでは東海道として機能していたという。平安時代には足柄峠に関所が設けられ、戦国時代には北条氏により城が築かれて武田氏・今川氏と対峙し、また豊臣勢の小田原攻めの際にも防衛線としての存在を示していたという。

足柄峠で最後の富士山の雄姿を見届けてから、地蔵堂へと下る「足柄古道」を下山する。谷沿いに車道に沿って下り続け、何度も車道を渡りながら高度を下げていく。斜度が緩めばハイキング道が途切れて車道を進み、やがて地蔵堂のバス停に下山した。太陽は足柄峠の反対側に隠れ、肌寒さに包まれていた。バス停の横にある店のおじさんに勧められるがままに、暖かい蕎麦を食べて40分ほどの時間バスを待った。バスが終点の新松田駅に近づいたとき、矢倉岳の奥にシルエットの富士山が姿を見せていた。




登山口の茶畑奥に大山を目立たせた丹沢山塊が・・・



自然林は明るい陽射しにあふれて



木の間越しに丹沢山塊
(檜洞丸)



矢倉岳山頂に立てば富士山が出迎えた



南に箱根の山々(左から明神ヶ岳、神山、金時山)



金時山とは尾根で繋がっている



湘南の海岸線も見えた



下山にかかれば目の前に富士山が



足柄峠ちかくの聖天堂



足柄城址からの富士山



足柄古道を通って下山する



植林帯が奇妙な矢倉岳の姿



下山地の地蔵堂

     



2年ぶりの東京近郊の冬山歩きは、陽射しに展望、歴史の道歩きと魅力満載の山歩きとなった。 何と言っても主役は富士山。関東を離れて住む者には何にも代えがたいその姿だ。1年の最後にこれだけ快晴の空の下でこれだけ見事な富士山を見ることができて、また来年も良い1年にできればと思わずにはいられなかった。そして、また1年後の年末年始に富士山が見える山を歩きたい。

2017.01.09. by TAKASKE

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