東北点描

神楽の舞 穂仁王 西和賀の春 仙台・青葉祭り 肘折温泉
伊豆沼・夏 立木観音と長床の大イチョウ 伊豆沼・冬 鳥海山麓-New!!-

最終更新日:2024年3月9日


神楽の舞

「南部神楽」というのは宮城県北部から岩手県南部に分布する神楽のことだそうだ。この辺りは南部藩ではなく、岩手県側にあっても実は伊達藩。岩手県北部地方から見て南部に分布しているということだが、何がどう違うのかは詳しくはわからない。

題材は神話と義経伝説が多く、私のような関東出身から見ると「正義のヒーロー」として偶像化された義経に多少の違和感もある。以前に神社で奉納された神楽(鶏舞)を偶然目の前にして、放射された熱さが自分の身体に伝わるのを感じた。


この日、野外で演じられた神楽は義経の「屋島の戦い」を題材にしたもの。その後、4人で舞った鶏舞のエネルギッシュさに圧倒された。横一列になったり、縦横2列になったり、輪になったりと、形を変えながら15分ほどの時間、休む間もなく激しい舞いが続いた。その迫力とスタミナ。終わってしばらく、茫然とした心地になった。












(2013年9月)




穂仁王


「穂仁王」と書いて「ほんにょ」と読む。東京に住んでいた15年ほど前に宮城県に出張したとき、丁度稲刈りのシーズンに当たった。目にしたのは、関東の田園風景とは異なる穂仁王の林立する風景だった。あの頃は、実におびただしい数の穂仁王が並んでいて壮観だった。

2年前に宮城に転勤してきて、穂仁王を目にしたが、15年ほど前とはずいぶん数が減った気がする。穂仁王を立てるのは、自家用がほとんどのようで、農家の方に聞くと自然乾燥の方が味が上であるという。それすらも、大変な手間が掛かるので、やらなくなってきているそうだ。

左の2枚の写真は、伊豆沼にほど近い平野部の風景。右の写真は栗駒山と穂仁王がともに写っている風景。偶然にこのような風景に巡り合い、一眼レフを持ち合わせていなかったので、手元のガラケーで撮った。



(2013年9月、10月)

前年のガラケーで撮った写真をデジイチでもう一度・・・と思って、翌年の秋に機会を伺っていた。9月28日、栗駒山登山に行く途中で待望の景色に遭遇する。左側の写真は広角で撮ったものをトリミングしたもので、澄んだ青空を意識した。右側の写真は望遠で、染まる山肌がかすかに認識できるショットとなった。しかし、残念なのは穂仁王の数が限定されていること。何処かに、穂仁王が林立する場所がないものか、とその後思い続けているが、なかなか巡り会えない。

 


(2017年8月追記)



西和賀の春

岩手県西和賀町は、東北地方のほぼ真ん中に位置するが、奥羽山脈沿いの谷間に集落を連ねる豪雪地帯の町である。雪が消えて桜の花が咲く本格的な春の訪れはゴールデンウィークになる。東北地方にあっても指折りの遅さである。それだけに長い冬を越えて新しい春を迎えた喜びが風景からも伝わってくるようだ。山肌を淡い緑色に染めながら新緑が駆け上がっていく。県道1号線沿いの至るところに山桜が咲きそろい、それは山の斜面にも点々と続いていた。

春の西和賀でいつも向かう場所は、安ヶ沢のカタクリ群落。ここに咲く1本の大きな山桜との組み合わせがいい。山桜とカタクリの花期が重なるので、ガイドブックやパンフレットにも写真が載っている。初めて訪れた2014年は、カタクリと山桜がともに見頃でいい写真が撮れた。翌2015年は山桜が散ってしまっていた。今年2016年は主役のカタクリが終わりを告げていた。冬と春の天候でこのように前後するのだろう。こればかりは運次第である。また来年、果たしてどうなるのかな?

焼石連峰や和賀山塊の豊富な雪解け水で、錦秋湖は満水状態だ。湖畔の林も半分水没しているような状態だ。名前の通り秋には大混雑する湖は、春もまた素敵な景色を見せていた。

特産の地ビールが全国ブランドになっている沢内銀河高原ホテル、ここでしか入手できない貴重なビールもある。駅に温泉が湧くJRほっとゆだ駅では、列車待ちの時間を利用してお風呂に浸かることもできる。特産の「わらびもち」を口にしながらの散策もできる。この地での春を見つけに、3年連続訪れている。まだまだ、見つけていない魅力がたくさん残っていることだろう。


JR北上線


線路沿いのカタクリの花


安ヶ沢地区の山桜


山桜を背景にカタクリの花


安ヶ沢地区を再訪


JRほっとゆだ駅


銀河高原ホテル


錦秋湖畔を走る


(2016年5月)

今年はどうしても行きたいと、 気が付けば6年ぶりの春の西和賀再訪となった。まずは、安ヶ沢カタクリ群生地を目指す。今年は丁度、山桜とカタクリのピークがほぼ一致していた。両方ともきれいな花を愛でることができた。ここのカタクリは密集度合は愛知県の香嵐渓や、秋田県仙北市西木町ほどではないが、濃いピンク色をしている。安ヶ沢群生地の奥には、ミズバショウの群落とクロサンショウウオの生息地もあった。ため池には、ピンポン玉サイズのクロサンショウウオの卵を見ることができた。

次に向かったのは、銀河の森カタクリ群生地。こちらはカタクリの花はやや過ぎ加減で、陽射しが翳ってしまったのは残念だったが、キクザキイチゲとの競演なども見ることができた。更に、どこかに花が見頃の場所はないかと探したところ、蛭山ミズバショウ群生地が見つかったので車で向かった。小さなミズバショウの花が群落を作り、逆光に白い輝きを見せてくれていた。湯川温泉に車を走らせて、工藤菓子店に入りいつものわらび餅を購入。近くにある和賀川の畔で、足湯に浸かる。更にJRほっとゆだ駅に向かい、ここでも温泉に浸かった。

雪深い山村に訪れた遅い春で、今年も一気に花が咲いている様子を見ることができた。今年のゴールデンウィークは天候に恵まれなかったが、この日は概ね晴天で、前日の月山から一気に移動してきただけの甲斐があった。西和賀の春、これからも訪れたい場所だ。


安ヶ沢カタクリ群生地にて


同じく安ヶ沢群生地


まさに最盛期を迎えていた


今年は山桜も見頃


山桜輝く安ヶ沢


こちらは銀河の森群生地


蛭山ミズバショウ群生地


蛭山ミズバショウ群生地
※Mackey撮影


逆光に輝くミズバショウ群落

雪解け水が豊富だった

和賀川の畔にて

足湯にも浸かった

(2022年6月追記)


仙台・青葉祭り


仙台といえば伊達正宗に牛タン、そして七夕祭り。これは全国で言うステレオタイプな見方だが、暑さの中で開かれる七夕祭りよりも、初夏の爽やかな風の中、踊りのパレードを繰り広げる仙台・青葉祭りが好きだ。定禅寺通りの欅並木も程よい新緑に輝いている中、リズミカルなお囃子に舞う「すずめ踊り」は爽やかな魅力にあふれている。

5月中旬の土日で開かれるこのお祭りは、土曜日は宵祭り、日曜日は本祭りとなっているが、すずめ踊りはどちらでも行われる。2日間通して踊るための体力は、相当のものだろう。表裏で異なる色に塗り分けた扇子の返しによる色彩美、そして時折すずめの動きを模して軽やかに舞う踊りのパフォーマンス。一度見て、その魅力に取りつかれてしまった。今では仙台だけでなく、県内の至るところにすずめ踊りの祭連(まづら)があって、年々増えているそうだ。私も踊りを見るたびに、どこかの祭連に入って1年間練習しておけばよかった、と思うのである。

上手な祭連は、踊りや扇子の動きや返しが揃っている。そして舞い方も軽やかで、何よりも心の底からの笑顔を見せている。仙台・青葉祭りは今年で34回目。中には幼児が数多く舞っている祭連もあり、着実に将来に踊り継がれていくだろうことが見て取れた。今年は東京からMackeyの友人が来たので、連れて行ったところ、とても喜んでくれた。宮城県に住んでいれば、また来るかもしれない。


2014年、宵祭り


2014年、宵祭り


2015年、本祭り


2018年、本祭り


2018年、本祭り


2018年、本祭り


2018年、本祭り


2018年、本祭り


(2018年5月)



肘折温泉

東北に移って最初の冬、この年はかなり寒かったのだが、天気予報のアメダスで各地の積雪量をチェックしていた。その中で山形県の「肘折」の地名が目に止まった。ものすごい豪雪地帯で有名な場所で、しかも温泉地。行ってみたいと思いながら5年目の夏を迎えてようやく訪れた。

やや寂れた雰囲気を醸し出す温泉街、軒下をかすめるように通るバス、そして朝市の雰囲気がその魅力を最大限に感じさせてくれた。泉質は金気臭を伴い成分も濃厚で、すべて源泉掛け流しだ。聞けばこの地はカルデラの底にあるという。しかも、噴火の可能性を伴う活火山らしい。山の中に寄り添うように形成されたこの温泉街と、良質な温泉の魅力にあっという間に取りつかれてしまった。

雪の季節にも2回行った。1回目は2月だったが、この年は暖冬で思ったほど積雪量が多くなかった。丁度、「肘折幻想雪回廊」のイベントが開催されていて、分厚く積もった雪の中にほのかに揺れる蝋燭の炎が幻想的であった。2回目は3月初旬だったが、3月に入り急に暖かくなって、軒先から雪解け水が勢いよく降り注いでいた。

肘折温泉の入口には希望大橋というループ橋があるが、これが開通したのは10年ほど前のこと。それまでの苦労がしのばれる。特に真冬は、豪雪や雪崩による陸の孤島の危機と隣り合わせの生活だったに違いない。希望大橋はまさに温泉街の希望の星だったが、新庄駅とを結ぶ民間バスは廃止され、大蔵村営バスに引き継がれた。

日帰りでも時折立ち寄るが、やはり泊りでじっくりと味わいたい温泉だ。土産物店によっても何を買うということはないのだが、浴衣を着て下駄を鳴らしながら何軒かハシゴして愉しみたい。豪雪の冬もいいし、朝市の季節もいい。


宿から見下ろす朝市


朝市を散策


狭い道を行くバス


所狭しと並ぶ旅館


肘折幻想雪回廊

寒さの中にホッコリ

夜に浮かぶ温泉街

天狗鼻橋


銅山川越しの温泉街


郵便局


雪の壁と温泉街


これぞ肘折の積雪


秋の希望大橋

希望大橋と温泉街

また訪れたい温泉街
 

(2021年2月)

2021年2月末の晴れた日、再び肘折温泉を目指す。禁断症状にも似た感覚。この冬は、12月中旬から大寒波に見舞われ、強弱を繰り返しながらも2月上旬まで続いた。宮城県北部でも20〜30cmの積雪が数回、氷点下15℃を下回る日もあったほどだ。しかし、寒波が去った後、状況は反転し平野部の雪はみるみる消えて行った。肘折温泉に着けば、温泉街だけを見れば路肩に雪がわずかに残る程度だったが、旅館の敷地の中や背後の斜面には豊富に残雪があった。

湯治宿の立ち寄り湯に身を委ねる。肘折特有の鉄錆色でやや熱めの湯が心地よい。気持ち良すぎて長湯をしてしまい、二軒目はパスして帰ることにする。一度も見たことのない名物の巨大な雪だるまは、残念ながらまだ製作前とのこと。温泉街を後にして新庄方面に車を走らせれば、思い掛けず、遠くに鳥海山を望むことができた。

2021年7月、オリンピック開会式の時期に合わせて組み替えられたカレンダーで4連休が巡ってきた。久々に泊まりで旅行しようとして、主目的を吹浦の岩ガキに設定し、その後にどこに泊まるかと検索したが、空いていたのは肘折温泉のみ。図らずも朝市の時期に再訪することができた。肘折温泉にとって銅山川は、主役を支える名脇役のような存在だ。旅館から見下ろす銅山川の水面が輝いているさまは、慌ただしい日常を忘れさせてくれるような、ゆったりとした時間の流れを実感させてくれた。

肘折の湯を口に含めば、わずかな塩分と炭酸水のような味覚を覚えた。翌朝は温泉街の朝市へ。採れたばかりの地元の野菜が所狭しと並ぶ。売っているおばちゃんと買い付ける地元のおばちゃんに浴衣を着た観光客。なんとか野菜を売り切ろうと、観光客にまで必死に懇願する。驚くほど安い価格設定で、ゲットすることに成功。この朝市の雰囲気もいいが、時間がやや遅くなったのか、それともコロナで観光客が少ないのか、以前より人が少ないのはちょっぴり残念だ。


いで湯館前より希望大橋を仰ぐ

雪の壁の高さを実感

春近く光あふれる温泉街

とある旅館前の様子

背後の斜面はまだまだ雪が残る

鉄錆色の湯に身を委ねて

遠く雪化粧の鳥海山を見る
 

夏の夕方、光る銅山川の水面

銅山川と温泉街

朝市の風景

朝市の風景・その2

地元で採れた野菜が並ぶ

朝の銅山川の風景
   

(2021年8月追記)



伊豆沼・夏

宮城県栗原市と登米市にまたがる伊豆沼は、日本のラムサール条約登録第1号の湿地として有名だが、引っ越したばかりの2011年7月、東京からの友人ご夫妻を迎えたときに、連れて行くことにした。沼の姿が目に入った途端、目を疑った。実におびただしい数のハスの花が、朝の湖面を覆いつくしていた。しかも、人がそれほど多くなく静寂に包まれていた。丁度、「ハス祭り」が開催されていて、ボートに乗ってハスの花と同じ目線で湖面を遊覧した。友人ご夫妻も興奮冷めやらぬ様子だった。きっと、これが関東地方にあったら、大勢の観光客が押し寄せる名所になっていたに違いない。

実は伊豆沼は日本で一番汚れた湖沼だそうだ。この原因には、越冬する野鳥もあるのだが、ハスの花が増えることの影響もあるという。しかし、この増えるハスは何年かに一度の大雨で水があふれることで、適度に間引かれるという。もっとも、大雨の年はハスの花を見ることができなくなるようだが。

2021年8月、ここ数年行っていなかった夏の伊豆沼を訪れた。思いついて足を伸ばしたので、昼下がりの時間帯であった。ハスの花は朝に開くのを忘れていたが、今年は当たり年とのことで、そこそこの数を目にすることができた。下の写真の最後の2枚で、スマホで撮ったものである。やはり、印象も、写真の出来栄えも、10年前の最初の年には及ばなかった。

(2021年9月)


2011年7月

2011年7月

2011年7月

2011年7月

2011年7月

2011年7月


2021年8月


2021年8月

2015年7月

2015年7月
   

2015年の7月にも遊覧していた。こちらの方が目線の位置でハスの花を鑑賞していたため、2021年8月よりも写りがよかった。昼過ぎでやや閉じ加減ではあったが、2枚写真を追加した。

(2022年1月写真追加)


 
立木観音と長床の大イチョウ

会津盆地の西にあるいずれも平安時代からの古刹で、宮城県北部からは遠距離になるが、繰り返し訪れている場所である。

会津といえば、白虎隊や大河ドラマ「八重の桜」でおなじみの地。鶴ヶ城や飯盛山などのベタな観光地は1回きりだが、グルメには事欠かない。喜多方ラーメンに馬刺に山都蕎麦、B級グルメのソースかつ丼、そして数多くの地酒。周辺の観光地では磐梯山に五色沼、盆地の周囲に点在する数多くの温泉も魅力で、何度でも訪れたい地域だ。もう少し近くにあったら、と思わずにはいられない。

信仰の厚い土地柄でもあるようで、古刹も数多く、仏像もそこかしこで拝むことができる。立木観音は会津盆地の西側、会津坂下町に佇んでいる。真言宗金塔山恵隆寺にある十一面千手観音菩薩像のことで、弘法大師がこの地に生える見事なカツラの大木を見つけて、立ち木に直接観音菩薩像を彫ったとの言い伝えがある仏像で、初めて目にしたときからその慈悲深いお姿に強い印象を受けた。また、御本尊の両側に揃う二十八部衆と風神雷神像にも惹きつけられた。2016年5月上旬に2度目の訪問を果たした。この時は、境内にヤエザクラやシャクナゲ、ツツジが咲いていて、雨の中にも春本番の陽気に満ち溢れていた。

長床の大イチョウ、こちらは喜多方市街地の西側の山裾にある熊野神社の拝殿を長床といい、その手前に生えているのがイチョウの大木だ。この地に神社が建立されたのは後三年の役の頃(1083〜1087年頃)というから、こちらも900年以上の歴史がある。拝殿は幅9間、奥行4間で44本の太い柱が立つ、荘厳な様相で、御神木の大イチョウはこれに負けず樹齢800年の風格で見事な枝ぶりと幹の太さで迫ってきた。神社ではあるが、神仏習合を色濃く残しており、隣の宝物殿には獅子に跨る文殊菩薩像など、こちらにも魅力的な仏像の数々を拝むことができる。こちらには、東北地方が梅雨の本番に入った2016年6月下旬、初めて訪問した。いつか、黄葉の時期に来てみたい、そんな思いとともに後にした。


春の立木観音を訪れた

シャクナゲが見頃だった

立木観音堂

十一面千手観音菩薩像
※恵隆寺HPより拝借

二十八部衆(左側)
※恵隆寺HPより拝借

二十八部衆(右側)
※恵隆寺HPより拝借
   

熊野神社正面の鳥居

大イチョウと拝殿

イチョウは幹も太く立派

拝殿も見事だ
(いつか黄葉の時期に・・・)

「長床の大イチョウ、見頃になるんじゃない?」コロナウィルスの影響で東京に帰省するにも車を使うようになっているが、丁度、帰省を計画している段階でMackeyが提案してきた。そう、行きたいと思いながら5年も実現できていないのは、我々2人の間には膨大な「行きたいところリスト」が存在しているため、それらの中に埋もれてしまっていることも原因なのであった。移動の途中に会津に立ち寄った。

熱塩温泉に宿泊した翌朝、長床の大イチョウを目指す。黄葉した大イチョウが朝日に照らされていた。そして、まさに落葉中の状態で、時折風に吹かれて雪のように降り積もっていた。落ち葉は絨毯のように幾重にも分厚く敷き詰められ、その範囲も桁外れに広かった。長床と呼ばれる拝殿の前全体が黄色い絨毯であった。陽射しの関係で、落ち葉に陽がほとんど当たっていなかったのは残念だったが。それにしても見事なイチョウの大木がまさに黄葉のピークを迎えて、鮮やかに光り輝いている。青空ともマッチしており、この時期の主役は完全にイチョウで、拝殿も引き立て役に過ぎなかった。場所を変えながら、アングルを変えながら写真を撮りまくっていた。実は、前の夕方にもライトアップで鑑賞している。ライトに照らされた大イチョウや敷き詰められた落ち葉が幻想的であった。

立木観音にも足を伸ばす。まずは、御本尊の十一面千手観音像と二十八部衆、風神雷神像を拝ませて頂く。そして立木観音堂を後にすると、中庭には立派なイチョウの大木があった。長床の大イチョウよりはやや小降りだが、こちらも同じく樹齢は800年。見事な黄葉をつけていた。境内はこの大イチョウを主役に、カエデの紅葉も見ることができて秋色に染まっていた。恵隆寺を後にして東京へ向かう。途中の産直で、手にしたのはオレンジ色の「会津のみしらず柿」。こちらは東京で頂いたが、甘く、絶品であった。


長床と黄葉のイチョウ

黄葉に朝日が当たる


厚く敷き詰められる落ち葉

引いたアングルで全体を
撮る

続々と人がやってくる

輝く落ち葉

ライトアップもやっていた

ライトアップされた落ち葉

立木観音堂も秋色の中

こちらも樹齢800年の
大イチョウ
   

(2021年11月)


 
伊豆沼・冬

夏の伊豆沼が静寂に包まれているのに対し、冬の伊豆沼は実に賑やかだ。賑やか、という表現よりも、壮観、といった言葉が相応しい。そして、主役は何といってもマガンである。宮城県北の田園地帯では、朝や日中にV字飛行を描いて飛翔するマガンの群れを普通に目にすることができるが、このマガンは、夕方に伊豆沼や隣の内沼に集まり、朝方に飛び立って、日中は田んぼで過ごしている。

最初に目にしたのは、夕方に伊豆沼に集まってくるマガンの「ねぐら入り」であった。各方向から群れが沼を目指して集まり、そして着水する。日没を過ぎたころからがねぐら入りの本番で、夕映えを覆いつくす群れと賑やかな鳴き声に包まれる。伊豆沼に集うマガンの数は10万羽にも達する。それがたった30分程度の間にやってくるのだ。そして、マガンに混じってハクチョウもやってくる。こちらはおそらく、家族単位かと思われるが数羽から7・8羽の群れが、優雅な飛翔と澄んだ高い鳴き声を上げながら着水する。

冬の宮城県は、関東地方と異なり日本海側からの雪雲が流れてくるため、スッキリ晴れた空になかなか巡り合えない。2012年1月はねぐら入りを見に行ったが、大群は離れた所に舞い降りてしまい、目の前で見ることができなかった。その代わりに、鳴子方面の山に夕陽が沈んだ後、太陽柱が立ち上った光景を目にすることができた。山なみに絡みついていた雲による演出であった。

朝が苦手は我々は、マガンの飛び立ちを見れずにいたが、まだ暗く凍える寒さの中でサンクチュアリセンターの観察ツアーに参加した。空が白むとともにマガンとハクチョウの鳴き声が増えて、日の出を迎えたとき、数分から10分程度の間隔を置いて、マガンの飛び立ちを見ることができた。小さな群れ単位の飛び立ちが頻繁になったと思ったら、突然辺りが地響きのような音に包まれた。これがまさに一斉飛び立ちの羽音であった。そして、朝日をバックにおびただしい数のマガンが空を覆いつくしていた。多くの人から聞いていたが、本当に見る価値があった。何度か見に行っているが、行くたびに興奮を抑えられないほどの気持ちになるのであった。

マガンは沼から離れた田んぼで昼間は落穂ひろいにいそしんでいる。それに対してハクチョウは、沼にとどまっている数も多く、岸辺で独特の澄んだ鳴き声を上げている。一羽一羽、個性も感じられる動きをしている。特に伊豆沼とつながっている内沼の岸辺には、ハクチョウが陸に上がってくるスポットがある。さすがに、車を下りて近づくと沼に逃げていくが、近くで売っているハクチョウのエサを撒くと鳴き声を上げながら寄ってくる。純白ではなくグレーの色をしているのは、まだ子供のハクチョウだ。そして、エサに夢中になる子ハクチョウを親が見守っていることがよくわかる。しかし、カモのすばしこい動きに負けて、ハクチョウはなかなかエサにありつけない光景もみられた。

2019年11月の 晴れていない朝、東京からのMackeyの友人と一緒に見に行く。濃い朝もやに包まれた伊豆沼で、一斉飛び立ちを待っていたが、天候のせいか散発的な飛び立ちが続いていた。半分あきらめて待っていたところ、最後の最後にものすごい地響きのような羽音とともに飛び立ったおびただしい数のマガン。朝もやの奥から鳴き声とともに姿を見せた群れの光景は、ものすごく神秘的で壮観であった。写真では表現できない。

写真で表現しきれないその場の雰囲気は記憶が徐々に薄れるせいか、またしてもマガンの一斉飛び立ちを見に行くことにした。日の出を待っていたが、この日も生憎の曇り空が主体の天気。ふと見ると、朝焼けが太陽柱となって東の空と湖面を彩った。まだまだ一斉に飛び立つには早く、一つの群れがキレイなV字で飛び立つ写真を撮ることができた。その後、太陽柱が消えた中で待望の一斉飛び立ちを見ることができた。空を覆いつくすほどの最高の一斉飛び立ちだった。一斉飛び立ちと言っても、この日はその後の規模の小さい一斉飛び立ちが2回あった。よく見ると、水面から羽ばたいた直後にV字編隊が結成されているのであった。また、飛び立ったばかりの群れのはるか上空を、隣の内沼から飛び立った編隊が飛行しているのが見て取れた。


2011年12月・夕刻


2011年12月・夕刻


2012年1月・夕刻


2012年1月・夕刻


2013年12月・早朝


2013年12月・早朝


2014年11月・早朝


2014年11月・早朝


2016年1月・日中


2016年1月・日中


2019年11月・早朝


2019年11月・早朝


2022年1月・早朝

2022年1月・早朝

2022年1月・早朝

2022年1月・早朝

(2022年1月)

2023年11月、引っ越し準備の中で、最後のマガンの飛翔を目に焼き付けようと伊豆沼を目指す。家から車で10分ほどの場所に位置している伊豆沼は、まさに日没を迎えようとしていた。朝は日の出の直後に一斉に飛び立つマガンは、夕方のねぐら入りでは日没後の薄暗い中でそのピークを迎えた。

宮城県栗原市。何の変哲もない過疎化の進む田舎に根を下ろして12年半が経過していた。越して来たときは、東日本大震災直後で沿岸部のような壊滅的な被害は免れたが、震度7を記録した場所であり、爪痕は至る所にあり、人々の心も荒んでいるのがわかった。あのときとは違った穏やかな日の中で、いつしか住み慣れ、愛着を感じていた土地を離れる。事情もあり、生活のベースを移すことをここ数年考え続けていただけに、いよいよその時が来た、わかっているが寂しさが全身を包んでいたここ数日。よい締め括りができたと、心から感謝する気持ちを持てた。


2023年11月・夕刻


2023年11月・夕刻


2023年11月・夕刻




(2024年1月)


 
鳥海山麓

山形県と秋田県に跨る鳥海山は、住んでいた宮城県栗原市から真西にあり、栗駒山からもその姿を拝むことができる。そして、この秀麗な山によって特徴づけられる一帯の鳥海山麓には、魅力を感じて何度も通った。冬の季節風で膨大な雪を纏う鳥海山は、6月に入っても豊富な残雪をたたえており、北麓のにかほ市にある小高い丘陵地は、この時季になって菜の花が咲き誇っているのであった。同じ日に海沿いの象潟に行けば、夕刻に染まる鳥海山と象潟の落日を目にすることが出来た。

鳥海山に降り積もった雪は、膨大な量の地下水を供給し、至る所に滝を作り出している。有名なのは「奈曽の白滝」と「元滝伏流水」だ。元滝伏流水は、岩の間から流れ出す伏流水が滝となったもので、周辺の雰囲気と相俟って、神秘的な様相をたたえている。鳥海山は過去に大規模な山体崩壊を起こしており、この「流れ山」と呼ばれる地形が見られるのが象潟である。松尾芭蕉が蚶満寺で
−象潟の雨や西施がねぶの花−
と詠んだのは元禄時代のこと。その後の地震による隆起で、それまでは海に点在する流れ山地形が松島に似た景観だったものが陸地化してしまい、唯一田植えの時期にだけ海に浮かぶ島々の風景が再現されている。しかし、この風景を実際に目にすることは叶わなかった。

2019年8月、東北に移り住んで9年目にしてようやく秀峰の山頂を目指した。見てよし、登ってよし、の名山を実感した。下山の翌日に遊佐町の吹浦を訪れる。鳥海山の溶岩が作り出す景観とともに、十六羅漢の彫刻が施されている光景も独特であった。そして、吹浦の夏の名産といえば、天然の岩ガキである。鳥海山の伏流水が海底から湧きだすところに天然の岩ガキが生息している。濃厚でミルキーな味には魅了されてしまい、この後何度も岩ガキ目当てに訪れた。

鳥海山の南麓には庄内平野が広がっている。庄内平野は最上川を挟んで、月山を主峰とする出羽三山の北麓まで続いているが、食材の宝庫と言われている。南部の鶴岡もまた、魅力あふれる土地でありこちらはこちらで何度も通っていた。さて、鳥海山を間近に仰ぐ酒田市の刈谷地区に「刈谷梨」という梨が産出されている。産直で偶然に見て興味本位に買ったのだが、素晴らしく甘くジューシーな梨であった。刈谷梨という固有の種類の梨ではなく、刈谷梨の幸水、豊水がブランド梨として販売されている。2021年に再訪し梨農家で購入したが、できればもう一度食べたかった。旬の時期も限られており、山形県内のスーパーでも庄内地方にしか出回っていないので、今となっては心残りとなっている。


菜の花畑と鳥海山


夕刻に染まる鳥海山


象潟の落日


元滝伏流水


蚶満寺から九十九島


蚶満寺境内の大タブの木


蚶満寺の山門


吹浦の海岸

十六羅漢岩

岩ガキは何度も通った


刈谷梨は秋の味覚
(庄内観光サイトより拝借)
 

 

(2024年3月)

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