夜景

お水取り

夏の夜のライトアップ

宵山

青山高原
お水取り再び なばなの里 最後のお水取り-NEW-

お水取り(2005.3.12)

関西に引っ越した最初の週末が”お水取り”でした。東京にいたときから1度は見てみたいと思い続けていたのです。これが終わると関西に春が来る、と言われています。しかし、その日の昼間は雪やあられが降って、夜になると底冷えのするような寒さでした。ものすごい混雑で、ゆっくりと眺めることはできませんでしたが、やはり火花を散らしながら燃えさかる松明を目にすることができて感動でした。


夏の夜のライトアップ(2005.8.20)

お盆を過ぎて、夜にもなれば涼風が吹くようになる。奈良公園の周囲のライトアップスポットをいくつか巡った。左から、興福寺の五重塔、鷺池と浮見堂、東大寺南大門の金剛力士像(左が阿形、右が吽形)、東大寺の中門と大仏殿。中でも鷺池が個人的には気に入った。


宵山(2006.7.16)

京都の街が最も「熱く」なるのは、やはり祇園祭りだろう。もちろん、クライマックスの山鉾巡行は、勇壮の一言だ。しかし、それよりも自分たちで好きなように歩き回り、熱気の中にもふっと夜風を感じる宵山が好きだ。静と動、近景と遠景、漆黒と彩光、それらがお囃子の響きとともに脳裏によみがえるのである。また、行ってみたい。


青山高原(2007.9.17)

青山高原は伊勢湾と大阪湾の分水嶺で、伊賀が暗いイメージで見られるのは”関西の果て”のせいかもしれない。伊賀からは手軽なドライブルートになり、山頂に立ったときにパッと開ける伊勢側の明るい展望が好きだ。
残暑の時期、志摩からの帰り途に寄った。青山高原の山裾が途切れる場所から伊勢平野の灯りが輝き、明るさを増した海岸線が縁取られていた。遠くわずかに知多半島の灯りも見える。冬ならもっとくっきりと見えるだろうが、吹き渡る寒風にじっと耐えねばならない。驚いたのは、何機もの飛行機が東方向に向かっていく姿であった。星のような光の点は次から次へと湧き出ては、流れて行った。


お水取り再び(2008.3.10)

伊賀に引っ越して迎えた最初の冬は寒く、盆地は度々雪が舞った。春を待つ気持ちが強かったのだろう。「お水取り、また見ようか」車で奈良まで行く。12日のクライマックスを避ければ、ゆったりと見ることができる。この夜、寒さが緩んだ。二月堂を正面に見るポジションも難なくゲット出来て、松明が火の粉を撒き散らす様を心行くまで愉しむ。
赤々と燃える松明の手前、青白い光が星のように点々と見えるのは、観客が手にするケータイの画面の光だ。松明をかざすお坊さんと、観客との”掛け合い”の声も耳に届き、なんとも和んだ雰囲気を感じた。


なばなの里(2010.1.16

イルミネーションというものにどちらかと言えば関心が低い。理由は明確ではないが、そのものの姿を見せない飾り立てにあるのかもしれない。それでも”東海一”と評判の場所が近くにあるので、足を運んでみた。
光の芸術空間に身を置く。すべての輝きが圧倒的に迫って来る中、何も考えずにシャッターを切りたくない。水に映る姿/曲線美/一つ一つの光の要素/それぞれの二人の物語・・・、全体の美しさを認めつつも「今、この場所でしか得られないメッセージ」を探しながら歩き、そしてシャッターを切った。


最後のお水取り(2011.3.5-NEW-

冬を送るごとに感じるのは、年によって異なる表情の冬がある、ということだ。この冬は、極端な展開を見せつつも、冬らしい寒さが実感できた年であった。そして、再び「お松明」を目にしたいと思うようになった。今回はややポジションが難しかった。だから、雰囲気を味わうことがメインとなったが、それでも、場所なりの写真を撮ることができた。
実は・・・この春の異動が決まっており、6年間の関西(大阪、伊賀)生活の最後のお水取りとなった。思えば、大阪に越してきた最初の週末に目にすることができた。そして、今回、お水取りが終わって、桜の便りが届いた直後に、伊賀を後にした。

そして又、実は・・・私の行く先は、あの巨大な地震と津波が襲った東北地方であった。映像で見た光景に、言葉を失った。心の整理がつかないまま、伊賀を発ったのであった。今はしばらく東北に根を張ってこの地域の復興に微力を捧げつつ、満喫したい気持ちを持っている。そして、いつの日か関西に行ったときに「お松明」と再会したいものだ。

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